【後編】ママ起業家の波乱万丈の半生と未来への決意 明代表インタビュー
産後ヘルパー株式会社代表の明代表インタビューの後編になります。前編は以下。
前回のインタビューでは、産後ヘルパーと似た会社が最近はあるという話で終わりました。
実はそこから派生して、明代表の波乱万丈な半生を聞くことができました。
読むと人生に勇気が持てるようになるそのストーリーをシェアいたします!
ここに来るまで泣くことも、失敗も多かった。
今年齢から言うと、人生折り返し地点に近いですが
死ぬ日が近いんじゃないですか(笑)
いやいや(笑)平均寿命から言うとまだまだたっぷり時間がありますよ!
これまで自分が歩んできた人生と、今後折り返し地点以降、どのような目標を持って歩んでいきたいでしょうか?
~ん~今までは、私は失敗が多かったので、そう、それと泣き泣きも多かったし。
そうなんですか?それはどういったことですか?学生の時でしょうか?
学生の時も、起業後も・・。私は家出して日本に来ているので。家出して留学しました。28歳の時ですね。理由は、父と喧嘩して。父は軍人だったので、結構暴力をふるったり、命令をしたり・・・お母さんがいない時期に私と揉めて、私が結構殴られちゃって・・。でも28歳にもなると殴られるとムカつくんですよ。力では勝てないから・・。父とその時一緒に住んでました、韓国は結婚前は女性は一人暮らしをしないんですよ。
その後日本に来られたのですか?
韓国は受験戦争がすごいのですが、勉強したりする用のめっちゃ安い部屋があるんですよ。3畳ぐらいの窓もないようなところを1か月1万円ぐらいで借りて、そこから通勤していたんですね。その時にせっかく家でしたから、ちょっと外出てみようかなって思って英語圏に行くか、日本に行くか悩んだときにアメリカだと遠いいし、日本だと近いし、黙ってれば日本人に見えるから差別も少ないかなと思って。
すごいですね、留学の費用も貯めていたんですね!
お金ないですよ(笑) お金がなくって、お母さんに相談してお母さんが授業料と量のお金を出してくれることになって
それで来たんですけど、私日本語全く分からない状態で来たので。日本語学校に最初一年通って。日本語出来ないからバイトもできなくて。周りの留学生は18-19歳で、28歳の自分はばばあなので。交流はないし一年間誰ともしゃべらず日本語を勉強していました。 たまにお金に余裕があればお酒を買って、お酒が恋人でタバコが彼氏みたいな感じで(笑) それで韓国に帰ろうとしたんですけどね。日本語検定は1級取りましたがそれではペラペラにはならないんですよ。
1年で、一生懸命勉強されたんですね。その後帰国はされなかったのですね。
どうしようかと考えた時に、国立大学の研究生の選択肢があることを知りました。このまま帰国しても仕事にはならないし、それで29歳の時、横浜国立大学の研究生になりました。
この頃も余裕はなかったですね、バイトはしはじめました。
そしてここで夫に出会いました。
その後、1年で横国を去り、慶應大学の院試を受けて入学しました。 その後結婚し、36歳の時に第一子を産みました。
信じていた人の裏切り、失意のどん底から
今後、人生の半生をどのように女性として生きていきたいですか?
アメリカ人と結婚したい(笑)
え?!なんですかそれ?突然ビックリです
えと、二年前に会社をパクられて・・ その時にも考えたんですがね・・
パクられ方がひどくて。
よくあるお客さんを持って行かれたとかですか?
ううん、違う。私は赤ちゃん産んで、知り合いも人脈も日本にはないわけですよ。
そんな中、現在産後ヘルパーで取締役をしている高久さんと、もう一人はわが社のサイト作成を依頼していた会社の社長が
唯一の人脈でした。
その頃、元社員だった人が、やめる時にパソコン壊したり、スマホ壊したり、ハードディスク壊したりして
え!!それはわざとですか?
買ったばかりのものが、壊れて。データをちょうだい?と言ったら「今は、ちょっと・・」と言われて・・意味が分からない状態で。
その従業員が辞めることになり、いつも人生相談を私がしていたうちのサイト作成会社の社長に「お兄ちゃん、この人辞めるんだって」と相談したら、お兄ちゃんは「笑顔で送ってあげて」と言うから、本当にいい人だなって思って。その従業員には辞める時にも働いた以上にお給料をあげて、プレゼントも上げて、1万ぐらいのランチを接待して・・
この従業員が辞める前に、他の従業員が10人ほど辞めたそうです。人手不足で、大阪支店オープンが重なりとても大変な状況に。
そのような中、数か月後、ある人から「この会社見た?」と
産後ヘルパー株式会社にそっくりなサイトを見せられたそうです。これあの人の会社だよって。
なんとなく想像はしていたので、それほど驚かなかったけど、8月に辞めて10月の中旬にはHPがあったんですよ。一か月ちょっとでね。
それで、サイト作成会社のお兄ちゃんに、冗談で「前に辞めた人が、こんなことしているんだけどお兄ちゃん知ってました?」って聞いたら返事がないんですよ。
私、本当に冗談で聞いたんですよ。
めちゃめちゃ早く、HPが立ち上がったから。
もしかしてお兄ちゃんの会社で作ったの?って聞いたら、「はい」って・・・・
・・・え・・それは、ショックですね・・・
そこから人間不信になってしまって。従業員を引き抜かれ、信頼していた人もそこに行ってしまって。
お兄ちゃんになんでそんなことしたのか聞いたら
「あの人はいい人だから」って・・・。
そこからは泣きながら対策をして。要は私が日本人ではないから。その理由は何なの?
その時に高久さんが、明ちゃんだけでは無理だからって。会社に入ってくれることになって。
高久さんがその時、
パクられるぐらいの良いビジネスモデルだということが証明されたわけだし、お金が無くなったわけではないタダで社会勉強したと思えばいいんじゃない
って言ったんですよ。確かにそうだなって思って。
そんなことがあったから、海外に行きたくなって。
夢は大きく今後の展望
それでは、今後の展望はアメリカ進出ですか?
一応、全国展開は少しづつ続けています。名古屋、福岡と広げていき、
その次は韓国や中国に逆輸出をしたいです。
特に中国では、日本の製品は人気ですし、高値を付けても安全と信じられていますし。韓国は、産後ヘルパーは誰でも利用するけど、質が悪いので、日本初の産後ヘルパーを輸出したいです。
産後ケアをするには、優しい心がなければダメなんです。心がある、産後ケアを広めて沢山のママたちを幸せにするためには、もっと頑張って会社を大きくしなくては、頑張ろうって気持ちです。
この人生は、自分で道を選ぶただ一度きりの壮大なゲームです。
明代表の半生を知り、思う通りに進めば涙が出ることも、嬉しいことも同じだけあるのだろうと感じました。
ママになっても、自分の人生を作ることができる、
インタビュー全編を通して力強いメッセージを受け取ることができました。
ありがとうございました。
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